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第十四話 紅椿、誘いの座敷

その夜、黒鴉派の屋敷に忍び込んだ者があった。塀を越え、庭木の陰を伝い、奥座敷に近づこうとしたところを、見廻りの忍に取り押さえられた。

「頭首様。曲者にございます。幽玄衆の者にはあらず、得体の知れぬ気配にございます」

報告を受けた紅椿は、しばし思案した。幽玄衆の者ではない。ならば、外の者――近頃、妙な胡散臭さを感じていた”あの筋”に連なる者かもしれぬ。紅椿はそう当たりをつけ、意外な指示を下した。

「縛につけず、丁重にお通ししなさい」

戸惑う配下をよそに、紅椿は自ら座敷の灯りを落とすよう命じた。連れてこられた男は、縄も打たれぬまま、座敷の中央に座らされた。

配下の一人が、部屋の隅に控えようとする。紅椿はそれを、目線だけで制した。

「下がりなさい。皆、この場から離れて構いませぬ」
「――なりませぬ。曲者の正体も知れぬまま、頭首様お一人になさるなど」
「案じずとも良い」

紅椿は扇を軽く開き、静かに笑んだ。その笑みに、なぜか誰も、それ以上は逆らえなかった。

配下たちは互いに顔を見合わせ、一礼して座敷を辞していった。障子が閉じる音が、やけに大きく響いた。

座敷には、紅椿と男、二人だけが残された。灯りの絶えた薄闇の中、紅椿の指先が、扇の骨をひとなぞりする。その仕草に、何の意味があるのか、男には分かるはずもなかった。

「お寛ぎになって」

紅椿は自ら盃に酒を注いだ。白い指先が、盃の縁をなぞる。

「……これは、どういう趣向で」男は警戒を隠さず問うた。護衛もなく、頭首がなぜ自分と二人きりになったのか、測りかねている様子だった。

「畏れることはございませぬ。忍び込んだ罰は、後ほど。今宵は、ただの女子とお思いくださいませ」

紅椿は艶やかに微笑み、扇で口元を隠した。唇の紅だけが、扇の陰からわずかに覗く。乱れた襟元から覗く鎖骨に、男の視線が僅かに泳いだ。

「して……何用あって忍び込まれたのか、お聞かせ願えますかしら」

紅椿はにじり寄り、男の盃に酒を満たした。椿の花の香りが漂う。男は酔いとは違う何かに、意識が霞んでいくのを感じていた。

問われるままに、男は口を滑らせていく。誰に雇われたか、何を探りに来たか。すべて、紅椿の手のひらの上だった。

やがて男が眠りに落ちると、紅椿は静かに立ち上がった。乱れた襟を正し、扇を閉じる。先ほどまでの艶やかさは、跡形もなく消えていた。

「――蜘蛛の巣に誘われたと、最後まで気づかぬまま」

紅椿は障子を開け、控えていた配下を呼び戻した。誰もが一人になった頭首の無事を確かめ、安堵の色を浮かべたが、紅椿は何事もなかったかのように命じるだけだった。

「この者を、然るべき場所へ。丁重に、な」

座敷には、椿の香りだけが、しばらく残っていた。


次話へ続く。

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